原稿サンプル / 書評:ふくわらい(西加奈子)
2016.11.08



■稀有な幼少期を過ごした女性が、あるキッカケで自分を開放する物語

 第1回河合隼雄物語賞の受賞作。単行本は2012年に出版されたが、今年9月文庫化された。

 この賞は、現代社会を生きる人びとのこころを豊かにする“物語”に贈られるもの。賞を主催する河合隼雄財団は、2013年に設立された新しい財団だ。第1回目の受賞となった本書「ふくわらい」は、その意味で財団の意思を強く反映したものといえる。端的にいえば、人を勇気づける作品ということだ。

 実直で不器用な主人公・鳴木戸定(なるきど さだ)は、25歳の書籍編集者。優秀な仕事ぶりで同僚からの評価は高いが、幼少期の環境や紀行作家である父に関するある特殊な体験のためか、自分と社会との間にガラスのような壁があるがごとく生きてきた。

 彼女には、社会一般で常識とされている当たり前のことが理解できない。生まれてからこれまで、友情を感じたことも恋愛の経験もなく、社会はただただ彼女の外側に存在する。もちろん、彼女にもその有り様は見える。だが、彼女はその社会に対して自分から関わりを持とうとはしない。人と接するということ、友達がいないということ、寂しいという感情がどういうものか、定には「わからない」。

 社会との接触点が非常に小さい定にとって、自分の外にある社会は、その接点を介して受け取れるものだけだ。それがすべてであり、それ以外は無に等しい。しかし、その接点が、定の周囲にいる人々との触れ合いによって徐々に広がり、増えていく。それにつれて、定の社会との境界が柔らかく変化する。読み進めるうちに、それまでは平面的で無味乾燥だった定の輪郭に丸みが見えてくる。そして、定に当たる光を柔らかく反射するようになる。そのスピードに引き込まれる。

 定以外の登場人物としては、守口廃尊(もりぐち ばいそん)が面白い。屈強な肉体と繊細なこころを併せ持つプロレスラーだが、彼の登場によって物語が転がり始める。

 廃尊はいう。「言葉が怖い」と。「言葉をうまく組み合わせないといけない社会が怖い」と。それは、人の顔から目や鼻などのパーツを引き離し、頭の中で再構成する定の“ふくわらい”の癖と共通する部分だ。廃尊も、定がするように社会をパーツに分解し、個々を確認して再構成することで全体を理解する。その時にベースとなるのが、自分の体だ。

 物語の最終部、定も自分の体によって社会とつながり、自分を開放することに気づく。最後の最後に定がとる意外な行動まで、具がたっぷり詰まった作品だ。

2016.11.08 21:10 | 固定リンク | 実績 / sample

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